空から見守ってくれて
ありがとう展
JAMC × KIZUNA
絆イベントプロジェクトでは、今までに10回を越えるWEB写真展を開催して参りました。
その中で、亡くなられた子のご家族さまからお写真を投稿いただくことが多くあり、
天国へ渡ってもその子との思い出はずっと生き続けること、
また病院で直接お会いすること機会がなくなっても、
病院とご家族さまとの繋がりが続いていることを実感いたしました。
最愛のわが子との別れは、とてもお辛い経験であったと思います。
その経験を共有下さり、誠にありがとうございました。
動物の高齢化が進む中で、これからの将来を不安に感じられているご家族さまは多くいらっしゃいます。
今回の企画でいただいた皆様のお気持ちやお言葉が共有されると共に、
たくさんの幸せを与えてくれた動物達を改めて弔うきっかけになればと思います。
余白(40px)
天国にいるベスちゃん
べすちゃん
べすちゃん
虹の橋に行ってから100ヶ日がすぎたところだね。
いまでも寝るときは隣にいるような気がするのといつもたくさんそばにいて、私が元気ないときはお気に入りのおもちゃをもってきてくれたりピョコピョコジャンプして抱っこになったり嬉しかったし幸せでした。
いないことがこんなにもさみしくて、苦しくて、もしかしたらあれは嘘だったのかな。
本当はどっかにかくれていないかなって思いたくなります。
このコロナ禍でなかなか家族みんなで集まれなかったのが、危ないかもしれないから家族みんなで集まって病院色々まわって、秋田に行ったものの急いで東京に戻ってきたけど
きっと病院につくまで頑張ってくれたんだよね。
ありがとう。
先生方が心臓マッサージもしてくださって、でも硬直はじまってきてるかもってなり、いまでも頭が真っ白になるし思い出すのもつらいけれど、最後の最後までいい子だったのと一緒に過ごした時間でたくさんカフェにも行ったり、ドックラン、七五三や雑誌撮影、最後のトリミングではシャンプーのあとの笑顔の写真、すべてが宝物です。
姿はみえないけどきっとずっとそばにいてくれるのかな?って思ってるよ。
たくさんありがとう。
16歳の誕生日お骨ではなくお祝いしたかったよ。
これからもたくさんおいしいおやつもお肉もご飯の時間には置いておくので食べてね。
命日2022年7月18日
本当に、ありがとう。
チャッピーくん
5月の終わり、ご飯を食べなくなり水も飲まなくなったので慌てて動物病院に行きました。
その日は、いつも診察してくださっている先生がいなくて初めて診察を受ける先生でした。
もともと腎臓が悪く定期的に検査をしお薬も処方していただいていたのですが急激に数値が悪くなっていて初めての先生には、あと5日だね、最後を看取るのも飼い主の責任だからと言われ、あまりに急なことで何がなんだか分かりませんでした。
家に戻り横になっている愛猫に寄り添うことしか出来なかったのですが
ネットで調べアメリカの獣医師にメールや電話で相談出来るサイトを見つけ、まだまだやれることがあることを説明していただき私も改めて、この子はまだ生きている❗と思い直し改めて動物病院に連絡をして、いつも診察してくださっていた先生に話し日本動物医療センターをご紹介いただき、その日にはすでにグッタリしている愛猫を連れて行き、すぐに治療が始まりました。
なかなか良くならなかった数値が、ようやくいい方向に向かったかなと思っていた矢先、夜に急変の知らせがあり駆けつけると呼吸器が付けられ、それでも愛猫は懸命に生きようとしていて呼吸器を嫌がる素振りをしたり撫でられれのは大好きなのに抱っこは嫌で私が抱いていても嫌がる素振りをしていて担当の先生に、この子は本当に強い子だと言っていただきました。
治療も頑張ってくれましたし呼吸器が付けられても頑張ってくれていたので、もう頑張らなくていいよ…と呼吸器を外してもらいました。
その後もずっと先生が愛猫の口元に酸素をあててくださっていました。
夜に急変した日の朝、ずっと寝たままの状態で治療を受けていた愛猫が私の頬にスリスリとまではいきませんがスリッとしたんです。
もしかしたら愛猫にはお別れが分かっていたのかもしれません。
院長先生や看護師さん、最後を看取ってくださいました先生には本当に良くしていただきました。
愛猫がすごく頑張って、その姿を見せてくれたので私も下を向いてはいられないという思いになり亡くなった今でも愛猫には励ましてもらっています。
今でも名前を呼びながら涙することはありますが本当に幸せをたくさんもらいました。
7月11日で16歳になるはずでした。
そしてその日は昨年、癌で亡くなった主人の命日。
愛猫にも病院の皆様にも感謝です。
命日2022年6月4日
一生忘れないセンターでの思い出
だいすきなびぃくん
びぃくん
6年前センターのICUで竹田先生、本間先生と
私たち家族が見守る中旅立ちました。
病気発覚から旅立ちまでの期間がとても短く
頭と心がついていかなかったことをすごく覚えています。
まだ若いのに?
どうしてウチの子が?
予後が悪くて余命が短い?
最初に病名を聞いた時は頭が真っ白になり
吐き気がしてふわっと倒れそうな感覚に陥り
パニック状態でした。
先生たちはとても献身的に力を尽くしてくださり
その対応にはとても感謝しています。
何度も何度も質問しては何度も何度も分かりやすく
説明していただき徐々に心の準備ができるようになりました。
当時は面会時間の規制がなく何時間も面会時間が過ぎても
居座っていましたね(^_^;)
最期の日の朝、血液検査の結果が思わしくなく
急変の可能性がある為、今すぐ来てください!と電話がきて
午前中から夜まで付き添っていたら
コンシェルジュの方が「朝からいらしていて何も食べてないと思うんで」と
私たちに飴をくださったのです。
ずっと悲しい気持ちでいたのでそのお心遣い、お気持ち
すごく嬉しかったです。
突然の病気発覚、″死″で感じたこと、
やはり定期検診は大事だなと心底思いました。
もしも定期検診をしていて初期の発覚であれば
治療の甲斐あったかもしれない?
まだ生きていたかもしれない?と後悔でいっぱいです。
この経験でこの子からたくさんのことを学ばさせてもらいました。
日々、″生きていること″″ごはんを食べる″そんな当たり前なことに奇跡を感じています。
なにより早期発見大事です!!!
びぃくん、いつも私たち家族とえるとだぃ福のこと
見守っていてくれてありがとう(=^ェ^=)︎
心から感謝してるよ!
だいすきだよ。
命日2016年3月3日
真っ白なボディの赤目のネザーランドドワーフ
ルビィくん
男の子でした。
名前は、ルビィ。
我が家で、こてん!を、した唯一の仔でした。
三歳までは、けが、病気しらず!!保険の掛け捨て状態でしたが、三歳以降に、いたずらして、けがはするわ、胃腸の病気はするわ、でしたが、五才七ヶ月まで、がんばりました。
最後の半年はセンターと家をいったりきたり!
でしたが、その都度、元気に戻ってきていたので、ラストの入院の時も楽観視していましたら、やたらに入院か長くなり、ん?と、おもって、お見舞いにいくと、お預けした時と全く顔も体つきも変わり 初めて覚悟をしたのを覚えています。
入院するときはいつものように、キャリーから顔をぴょっことだして、、
あ!いつものとこね!みたいな安心状態のいつものルビィの顔でした。
なので、私は本当にいつものように、すぐに帰ってくるものたと、思い込んでいたのですが。
私の顔を見ても、顔をあげるだけで、そばによってこれる体力は残ってなく。
わたしが、ルビィを病室からだして抱っこしてルビィに声をかけたことを鮮明に覚えています。
もう、無理しなくてよいよ、うちの仔になってくれてありがとね🎵って。
ルビィは、いつもならば、抱っこすれば、もぞもぞ動いて、位置を変えたりするのですが、その時はなすがまま!私の腕に顔をのせて、じっとしていました。何度も頭をなでて、また、来るよーと、病室に戻すと、横になったまま。
記憶が正しければ、翌日に緊急の呼び出しが、かかり、ルビィは、お月様に帰りました。
私のお見舞いを待っててくれたのだと思います。
いつもならば、三日ぐらいの入院で退院してきたので、ラストもそうだと思い込んでいたので、後悔が
のこりました。
実は、その時、親族の調子がよくなくてルビィのお見舞を5日間ほどあけてしまっていて。毎日、様子は聞いていたのですが いつもと違うなにかを感じた私はダッシュでお見舞いにいったら、あたりにも様子が変わってしまったルビィになってしまい、内心、呆然としました。
家族としての後悔は、未だに残っています。
命日2009年11月23日
2代目ジロー
ジローくん
次にご縁があったのが、ジロー
やはり、ネザーランドドワーフのオレンジで、ブラックアイでした。
この仔は飼うつもりはなくて、ウサギのしっぽさんで、見学していたところ、目に止まって、抱っこさせていただいたら、私の膝でまったり!顔はあらうわ、毛繕いするわ!お店の方々が、びっくりするという珍事か発生。
で、私が即決してしまい、家族にしました。
ジローは次の日にお店の看板ウサギになる前日だった仔で(笑)おそらく、8ヶ月か、9ヶ月の大人のウサギさんでした。急遽、そこで、ケージやグッズを買い揃え、その日にお迎えしたのは、よかったのですが、お店にずっといたためか、歩き方か、最初、すごく変で(笑)
そろりそろり!
ウサギさんの普通の歩き方になるまで、一ヶ月ほどかかりました。
でも、あるきなれてくるとすこぶる可愛いかったです。ジローくんほ、病気はなし!で暮らしていたのですが、私が娘と旅行のためセンターのホテルにお預かり頂いてお迎えのに日にご連絡をしてお迎えのに伺うつもりにしていましたら、いきなり、入院に切り替わっていて!
その日にセンターにて傾斜を発症してしまったらしく、治療開始となってしまい急遽お見舞いに変更。
いったら、ジロー事態が状態を飲み込めていない様子で混乱状態で、触れず見守るだけとになりましたが、よもやまさか、その2日後にいきなりお月様に帰ってしまうとはおもいませんてした。
え?なんで!どうして?の世界だったと思います。お預けして時は元気そのもの!なのに、え???でした。後悔よりも、落胆したのがおおきかったです。
うちにいたのが、二年と少しの計算になりますが、ショックが大きすぎて、気持ちが追い付いて行かれなかったことを覚えています。
命日2013年5月16日
3代目のハッピー
ハッピーくん
次が、ハッピー
白いボディのブルーアイのネザーランドドワーフ。
ジローが急にお月様に帰ってしまったので、気持ちがついていかれず どうにも寂しくて、ウサギカフェなどに行っていて まさに一目惚れの衝動買い。
ハッピーを、ラストと決めて、家族にしました。
言わずと知れた病気とけがのデパートの仔。
主食の牧草にアレルギーはあるわ、元気印ではありましたが、足をぶつけて爪を折って出血するわ、耳、鼻に病気があることが、わかったり、内蔵に異変があることが、わかったり。
一番、センターに通った、入退院をしていた仔でした。
今までの二羽分のことまで、できるだけのことはしようと決めて家族に迎えた仔なので、病気持ちながらも、楽しい時間か長くもてていたとは、思います。
が、ラストの一年半は文字通りセンターと我が家をいったりきたり。
ハッピーを知らないセンターのスタッフさんは、ます、いらっしゃらなかったと思いますね。
でも、医療の進歩、センターの皆様のお蔭で一番、重症であった仔が長生きできました。
三羽まとめて感謝でございます。
どの仔も、動物専用の保険加入していました。
どれ程に、それで、助かったのかは、はかりしれません。
その保険のお陰で治療できていたことは、否めないと思います。
最初は掛け捨てでも、どこかで、必要な時期は必ずきます。
センターのスタッフの皆様に感謝をこめて。
命日2020年5月11日
小さくても家族
プリンちゃん
あなたがいて、楽しかったよ。ありがとう。
母のウサギと自分のハムスターをみていて、医療の進歩、グッズ等々の進歩を目の当たりにしていました。
ハムスターは、本当に短命の愛玩小動物なのですが、
まさに、癒しでした。
母のウサギさんがいなくなって、癒しがいなくなって。
母がハッピーがラストと決めていたことを知っていましたので、母との会話でハムスター飼いにもどったら?の、一言で勉強をしなおして よもやまさかの私もジャンガリアンハムスター飼いに戻りました。
ウサギさんの責任は母でしたから私はフォロー組。
ハムスターは、私の責任で母がフォローに戻りましたが、責任を負うということの重さを痛感しました。
昨年の冬に病気が発覚してから闘病生活になりましたが、センターにて内服での闘病生活を選択しまして、センターにて継続でお世話になってきました。
二月のあたりで、楽しい余生を!!と、言われて好きなものを好きなだけ食べさせて覚悟をしていましたが、みるみる元気を回復して夏の8月になりました。
たまたま、飼い主である私が8月一日にコロナを発症してしまい母にかかりつけ医に送迎を頼み隔離生活になり母は当然に濃厚接触者に。
ところが翌日の2日にハムスターのプリンの調子が悪くなり母にセンターへ連絡してもらい、母にプリンを託して、事情を話して母は病院に入らず車から看護士さんにケージごとお渡しして処置をして頂き、また、帰宅してきました。それを、三日おきにやってもらいまして。
私が隔離期間を終えてから、二回目の予約診察日にいった時に急変し眠ったまま その夜に、いつもの家の生活の音がしている間に虹の橋を渡っていったようです。
それこそ、いつものように薬を服用させて食事をさせようとおもいケージをあけたのですが、呼吸が止まっていて。まだ暖かくて、あー、逝っちゃったか!が、最初の思いでした。ほんの少し前に確認したときはきちんと息をしていて、寝ていたのですが、わずかな隙に、すーっと逝かれちゃったみたいでした。
後悔はありません。できることはしてきたとおもっています。
私も母と同様、今回のプリンがラストと決めていましたし。
母の手を借りながらではありますが、できることは、してきたとおもっています。
プリンがいたお陰で癒されながら、楽しい時間を過ごしました。ありがとう。
命日2022年8月22日
早く帰ろう
謙三くん
本人(猫)は早く帰ろうよと思っていたと思いますが、
「親」である私たちにとってこちらの病院は"ここに来れば安心"な心の拠り所でした。
先生方も看護師さんもコンシェルジュの方々も皆さんいつも優しく迎えてくださいました。
何時でもどんな状況でも受け入れていただき、この子にとって何が1番いいのかを一緒に考えてくださり、
とても心強かったです。
最期まで私たちに温かく寄り添っていただき、感謝でいっぱいです。ありがとうございました。
謙三がいなくなってしまった寂しさにまだ慣れない毎日を過ごしていますが、彼がくれた日々はとても幸せだったのだと日が経つごとにますます実感しています。
けんにゃんへ
謙三くん
全員揃ってお家にいるのが大好きで、
毎朝必ずお化粧中に「出かけちゃ嫌!」って
邪魔しにきたね。
一緒に遊んで一緒に寝て、たくさん一緒に過ごした時間は宝物。毎日たくさんの幸せをもらっていたよ。
君が空に旅立ってからまだ2週間。
家にいると気配がなくて、もういないんだと実感する。
景色も風も色も音も全てが色褪せた、
君がいない世界で生きていかなきゃいけないんだね。
一緒にいることが大好きだったから
最期の「にゃー」は
「まだ一緒にいたいよ」だったよね。
まだきっと
何度も思い出していっぱい泣くけど
楽しかった君との毎日を胸に頑張るね。
ずっと心はそばにいるよ。
ずっとずっと大好きだよ。
きっとまた会えるよね。
命日2022年10月26日
夢との思い出
夢ちゃん
夢、元気だった夢が7歳という若さで突然お空へ旅立ってしまい、
私達やいつも一緒にいた小太郎や大和も寂しくなってしまいました。
天真爛漫な夢はコーギーでも珍しいフラッフィでとてもチャーミングでしたね。
いつまでも夢のこと、忘れないよ。
我が家に来てくれてありがとう。
我が家に先住犬小太郎の相棒として2頭目に来た犬が夢でした。
亡くなる2日前までとても元気でしたが、夜間急に具合が悪くなり、夜間診療をしている病院を探して初めて受診したのが日本動物医療センターでした。
その日は受診後帰宅しましたが、翌日やはり具合が悪くなり再度受診。
手を尽くして下さったのですが夢は病院で息を引き取りました。
その時ドクター、ナース、スタッフの皆様がほぼ初めましての夢を
とても心温まるエンゼルケアで見送ってくださいました。
建て替え前の病院でしたが、その時の風景やスタッフの皆様のお声かけは今でもはっきり記憶しています。
亡くなるということは辛いし淋しいことですが、
生前夢が私達にたくさんの幸せをくれたことを今も心の拠り所にしています。
命日2022年4月14日 享年7歳
小太郎との思い出
小太郎くん
小太郎、我が家の長男で皆のお手本として本当にしっかり者だったね。
病気が見つかってから最期の時まで後輩犬を可愛いがってくれてありがとう。
小太郎ほど穏やかで頭の良い出来すぎな子はなかなかいないよ。(親バカですね(笑))
我が家に来てくれて本当にありがとう。
我が家初めての犬が小太郎でした。
9歳か10歳ぐらいの時に後ろ足が上手く動かなくなり、近所の動物病院で診てもらいましたが原因がわからず症状も良くなりませんでした。
そんな時に先にお空へ旅立った夢が日本動物医療センターでとても良くしていただいたのを思い出し、セカンドオピニオンで診て頂きました。
的確な診療で、おそらく「変性性脊髄症」であるということがわかり、それから3年弱小太郎は頑張りました。
病院で息を引き取りましたが、病院の皆様のご配慮で、家族も一緒にエンゼルケアをすることができて小太郎も喜んでくれたと思います。
そして難病である変性性脊髄症の治療に役立てて欲しいという家族の希望で、小太郎は岐阜大学へ旅立ちました。
岐阜大学への手配、小太郎の旅立ちの準備等を先生方、スタッフの皆様が快くまたスムーズにサポートしてくださりとてもありがたかったです。
小太郎なら家族のこの思いを受け止めてくれていると信じています。
生きている意味、病気になることの意味、その時家族はどのような選択肢をするべきかを小太郎が教えてくれたような気がします。
小太郎に感謝です。
命日2014年6月17日 享年12歳
大和との思い出
大和くん
大和、我が家で一緒に生活する犬としては3頭目だったね。
小太郎お兄ちゃん、夢お姉ちゃん、夢お姉ちゃんがお空へ旅立った後から我が家にやって来た弟の夢叉士との間に挟まれていたけど、穏やかで何事にもあまり動じない大和くんだったね。夢叉士にちょっかいを出されても我慢して...大人だったね。
歳を重ねてから病気が見つかり、身体が不自由になってからもみんなから「可愛い~」って言われて、一番得意気になっていたのは大和ではなくお父さんお母さん(飼い主)だったかもしれません。
そのくらい大和が誇らしかったです。
大和、大好きだよ。
我が家に来てくれて本当にありがとう。
大和は膵炎や心臓病を患いながらではありましたが、4頭いた中では一番のご長寿さんでした。
13歳冬のある日の散歩中、後ろ足に違和感を感じて病院を受診しました。
いろいろ検査したところ「脊髄腫瘍」かもしれないとのこと。そうであれば余命3ヵ月ぐらいと言われましたが、大和はその後1年7ヵ月頑張りました。
闘病中徐々に身体は動かせなくなり、首以外ほとんど動かない状態になりました。
大和は自分ではおしっこが出せなくなり、常に圧迫排尿と3~4時間おきの体位交換が必要になりました。
圧迫排尿などやったことがなかったのですが、病院の先生が丁寧に教えて下さいました。
おかげで始めてから数ヵ月後には圧迫排尿のプロのようになっていました(笑)
きっと大和は辛かったと思いますが、嫌がることなく私達に身体を委ねてくれました。
毎日昼夜問わず圧迫排尿や体位交換をしていましたが、不思議と面倒だとか辛いと感じたことは一度もありませんでした。
身体は動かなくても食欲があり、毛艶も良く、ひょっとしたらあと数年頑張れるのでは?と思いましたが、その日は突然やってきました。
家族の腕に抱かれ、一度大きく呼吸をしてその後静かに天寿を全うしました。
それまで3頭を日本動物医療センターで見送ったので、家からお空へ旅立っていったのは初めてでした。とても穏やかでした。
大和は「自分は家から旅立つ」と決めていたのかもしれません。
大和には介護の実践、勉強をさせてもらったと思いとても感謝しています。
犬と一緒に生活する覚悟を大和から教えてもらいました。
命日2022年7月13日 享年15歳
夢叉士との思い出
夢叉士くん
夢叉士、我が家の末っ子で身体は小さく甘えん坊だけど自己主張は強かったね(笑)。
小さい時から病気のオンパレードで病院に行くことが多かったけど、貴方はいつもとっても我慢強かった。
病院ではアイドルのようにスタッフの皆様に声をかけていただいて、夢叉士はいつも得意気な顔だったね。
無条件に可愛いかったよ。
我が家に来てくれて本当にありがとう。
先住犬が1頭亡くなり、我が家に2頭いる中で4頭目として夢叉士は一緒に生活をすることになりました。
小さい時から病気のオンパレードで、膝蓋骨脱臼、ヘルニア、頸椎椎間板脊椎炎、胆嚢粘液嚢腫...いろいろ乗り越えて来ましたが享年11歳11ヵ月。
少し早い犬生を駆け抜けました。
既に2頭の子達をお空へ見送りましたが、夢叉士の最期は予測していたものとは異なっていました。
最後の入院中は夢叉士本人、家族、病院のスタッフの皆様がみんなで戦った3日間でした。
コロナ禍ではありましたが、十分な感染対策をした上で昼夜を問わずの面会を許可して下さり、夢叉士とのひとときを過ごすことができました。
手厚い治療をしていただき、病院の医療看護体制がとても勉強になりました。
いろいろな場面で臨機応変に対応して下さり、温かい声をかけて下さるスタッフの皆様に何度も救われました。
ありがたかったです。
夢叉士がくれた愛くるしい表情や想いは、
いなくなった今、
淋しさよりも、そばにいてくれて良かったという想いのほうが勝っていると感じています。
命日2022年3月23日 享年11歳
ショコラに会いたい
ショコラちゃん
唯一無二の大切なショコラ。ずっと元気で一緒にいてくれて本当にありがとう。
最後の一年も辛くて苦しいこともあっただろうに頑張ってくれて一生懸命に生きてくれて本当にどうもありがとう。
お薬もなくて目も見えて足も動かせる虹のたもとで元気いっぱいのんびりと自分らしく過ごせていると信じているよ。
今までもこれからもいつまでもずっとずっと大好きだよ。
どれだけ真剣に向き合っていても必ず後悔や心残りがあるものだと思います。
それでもショコラも愛情を感じていてくれたと、できる限りのことはやれたはずだと、信じて悲しみを乗り越えるしかないと思います。
まだまだ悲しみの最中で今も毎日会いたいので、できるアドバイスはまだありません。。。
命日2022年7月7日
ありがとう
ミューちゃん
小さいときから活発で食欲旺盛でしたね。
あなたの食事を見ていると生きる意欲が強く感じられました。
お茶目なところとキツイところが同居しているのも個性でしたね。
やさしいところもあり、同居猫に高速猫パンチする時は手加減していたのはわかりましたよ。
2歳の時に腎臓に障害が見つかり、その後も約1年間に渡る下痢症状との闘いも
ありましたね。
病院で除夜の鐘を初めて聞いたことを覚えています。
膀胱炎でも、よく病院にお世話になりました。
入院すると病院の先生、スタッフの皆さんに遊んでもらい喜んでいましたね。
4年前に膵臓にも異常が見つかりましたが、変わらずに過ごしてくれました。
最後の入院では立ち上がれなくなっても寝たままで食べている姿を見て、
回復への希望が見えたと思いました。
急変の連絡で、病院であなたの姿をみたら、「よく頑張ったね」と自然とつぶやいてしまいました。
家の子になってくれてありがとう。
虹の橋のたもとに2匹の先輩猫が居るので合流してください。
3匹で私が行くまで楽しく過ごしていてくださいね。
ほんとうに良く頑張りました。
天国へ見送った経験から感じたこと。
これまで2匹を見送っていますが、特に1匹目が1才2ヶ月で急死した時に言われた
「悲しい無力感を感じているなら、その後悔の思いをつぎの子へ繋げて」ということを
いまでも覚えています。そのおかげで猫への知識と思いを増やせたと思います。
その時のご家族様の心境、そして今現在の心境に変化があったか。
今回は悲しみと感謝の念でいっぱいでした。
不安に感じている方へのアドバイスなど。
亡くなったときは確かに深い悲しみに浸りますが、ペットが残してくれた思い出があり、
その思い出は必ず輝いて、あなたを力づけてくれます。
命日2022年9月9日
天国にいてもずっと家族
つくしくん
2021年の大みそかに、19歳10ヵ月で天国へ渡ったつくし君。
もうすぐ20歳の誕生日を迎えるのに、どんなお祝いをしようかなと考えていた頃でした。
亡くなったのは、私が仕事に行っている時でした。
かなりのご高齢でしたが、それまでご飯も食べてくれていて、仕事に行く間際に見た時にはいつもと変わりない朝だったと思います。
その日は家族が家にいました。それまで歩いている姿を見かけていたそうです。
気づいた時にはベッドで固くなっていました。ベッドで気持ちよくお昼寝をしていたら、そのまま天国へ逝ってしまったかのよう。
私が帰ってくるまで待っていてほしかった、、
朝、急いで家を出てしまったから、ちゃんと「行ってきます」って言ってあげられてなかったかな。
20年間、私とずっと一緒にいたのに、あまりにもあっけなくて。。
それから数日後のある日。
夜眠っていると、夢に、つくしがでてきました。
喉を大音量のゴロゴロを言わせて、ベッドのお布団の中に入ってきました。
夢の中ですが、撫で撫でした時の毛の手触りをはっきり感じました。
『ありがとう』って、ちゃんと挨拶しに来てくれたのだなと感じました。
私も精一杯、『ありがとう』と伝えました。
亡くなって改めて感じたこと。
動物は毎日同じことの繰り返しだけど、家族がいつも通りに声を掛けてくれて、いつも通りにスキンシップを取ってくれていることが幸せに感じてくれている。
“1日1日を大切に”毎日をいつも通りに接してあげることが大切だなと感じました。
我が家の子ども達は、家族が大好き。
家族の名前を言う時や、絵を描く時には必ずつくしも出てきます。
居る場所は違うけど、心の中ではずっと一緒。ずーっと家族。
空から見守ってくれてありがとう。
命日2021年12月31日 享年19歳
沢山の病気と闘って
蘭ちゃん
20年前コーギーに魅了され家族に迎えたことを覚えています。
家族が増え楽しい日々だけではありませんでした。
4歳でヘルニアになり手術を経験させてしまったり、10歳頃には白血病にもなりました。
白血病が治ったと喜んでた後には直ぐに変性性脊髄症(Degenerative Myelopathy:DM)が判明しました。
ヘルニアと違い痛みはない…徐々に後ろ足が弱ってくるのが分かりました。
下半身を支えてあげる工夫を色々と試しました。当時担当医だった竹村先生から車椅子の資料を沢山頂きました。涙が出るほど嬉しかったです。
DMと診断され3年が平均寿命と言われましたが診断されてから1年頃心臓を患い天使になりました。
最期はこちらの病院の先生、看護師、スタッフさん総出で動いてくれたことを今でも覚えています。
13歳の誕生日を祝えて翌月天使となりましたが、13年も一緒に居てくれたこと幸せでした。
こちらの病院の先生方、看護師、スタッフさんには感謝しかありません。
改めてありがとうございました。
命日2015年5月29日
かけがえのない時間をありがとう
モアちゃん
7年前の8月、最愛のモアがお空へ帰って行きました。
成長していく子供たちの隣にはいつもモアが優しく寄り添ってくれていました。
亡くなる4ヶ月前のこと。元気はあるのに吐く…。良くなったかと思うとまた吐く…。
親戚の獣医に診てもらっても特に異常なしと。
元気に走っていたので、すぐ治るだろうと思っていました。
しかし、8月半ば、足が急にふらつき始めました。
息子が「もうだめだよ。ちゃんとした病院に連れて行こう」と日本動物医療センターさんを受診しました。
受診当日、入院。肝臓癌でした。
なんで気づいてあげられなかったのか、もっと早くこちらにに受診していたらと自分を責めました。
手術は大成功。なんと直径10センチほどの腫瘍を摘出していただきました。
しかし願いも虚しく、入院5日目の朝、急変し、のんびり屋さんだったモアは駆け抜けるようにお空へ行ってしまいました。
我が子を亡くすことは想像以上に苦しく悲しく、心臓がえぐり取られるような喪失感に苛まれました。
人間より寿命の短いワンちゃんは必ずお別れの日が来ることはわかっています。
でもそんな覚悟はなんにもなりません。
我が子から教えてもらったことは一日を大切に楽しく過ごすことです。
そして何より信頼できる病院と巡り合うことだと思います。
当時、主治医は冨田先生、手術を一緒にしてくださったのは院長先生の有藤先生でした。
腫瘍をとって苦しみから救ってくださったこと感謝しています。
モアが繋いでくれたご縁。今は二代目めるがお世話になっています。
ありがとうモアちゃん、みんな元気にしているよ。
いつか虹の橋で会おうね。
命日2015年8月20日
心はいつもそばに
らんまるくん
らんまる、元気ですか?
お父さんとお母さんがらんまるの所に行くまで、皆と楽しく遊んでいてね。
そして、また一緒にお散歩しようね。
病院の皆様、
その節は大変お世話になり、ありがとうございました。
らんまるが、虹の橋を渡ってから約半年が経ちます。
初めは悲しくて辛くて、もっと何かできたのではないかと思う時もありました。
でも今は、少しずつではありますが、らんまるは旅立ったんだなと思えるようになりました。
今も毎日らんまると話をしながら過ごしています。
おはよう。行ってきます。ただいま。いただきます。おやすみ。等、家にいる時は何かあったら話しをしています。
もしかしたら一緒にいた時よりもずっと沢山、話しをしているかもしれません。(笑)
それから、今は食事制限がなくなったので、色んな美味しい物を沢山お供えしています。
いつも嬉しそうに食べてくれているのではないかなと思っています。
確かに今でも、らんまるの存在がない事で、悲しく涙する事もまだまだあります。
でも、それでいいのかなと思っています。
らんまると一緒に過ごした17年は決して忘れる事はありません。
本当に一緒に過ごせて幸せでした。らんまもそう思っていてくれたら良いなと思います。
闘病中の思い出
初めて痙攣発作を起こしてからの約一年は、毎週の通院。
更に半年間は入退院を繰り返していました。
発作を起こすたびに段々と症状が重くなり、歩くことも立つこともできず最後にはとうとう寝たきりになってしまいました。
どうしていいか分からず、悩むことも多かったのですが、そんな時、病院の皆様にとても助けて頂きました。
家族ではとても抱えきれなかった思いを、皆さんが一緒に抱えてくださいました。
心に寄り添ってくださいました。
だからこそ最期は穏やかに看取ることができたのだと思います。
本当に感謝しています。
命日2022年7月3日
アビーよくがんばったね
アビーちゃん
アビーは我が家の4頭目のシェルティ、預かりさんがつけた名前だったけど、とても素敵な友人と同じ名前だったので、そのままアビーと呼ぶことに。
保護されるまでの間に何か大きな動物に噛まれたのかな、女の子なのに鼻に大きな傷跡が痛々しかったね。
なかなかのおてんばぶりで興奮すると何でも噛んでしまう。
自分のハーネスのDカンを噛んで歯にはさまったときは病院ではずしてもらったね。
ずいぶん手を焼いたけど、先住犬のオレオに遠慮することもなく、我が家の長女としていつも堂々としていたね。
網膜剥離で失明してからも、家の中は自由に歩き回り、毎朝廊下を歩いて私たちの部屋まで起こしにきてくれたね。
最後は病院で過ごすことになったけれど、会いに行くと必死で起き上がってアピールしてくれたアビーのがんばる姿には家族みんないっぱい勇気をもらったよ。
アビーがいた8年間、ほっこりとても楽しかったよ。
またいつか会える日を信じてるよ。
命日2022年10月15日
オレオに会いたいな
オレオくん
初めて会ったとき、ケージの奥に隠れて怯え切っていたのが、突然出てきて、私の膝に顎を載せたよね。
その2年前に旅立った子と同じ色のシェルティだったので、特別な縁を感じて、当時預かりをしていたウサギさんと一緒に我が家のメンバーになったね。
その頃は先輩シェルティのピーターもいて、ウサギのルビーとオレオとで台所までやってきて、
壁の向こうから小中大の順に顔を見せてくれた姿が
マンガみたいで、かわいくて、今でも忘れられない光景です。
家族みんながオレオを抱きしめるとホッとする癒し犬だったね。
まだまだ元気で頑張れると思っていたのに、病気がわかったときには助ける方法がなくて、あっという間にお空に旅立ってしまったね。
まるでかぐや姫を見送るような心境だったけど、オレオのおかげで楽しい毎日だったことにすごく感謝しているよ。
いつかまた会える日を信じてるよ。
命日2022年2月13日
空から見守ってくれてありがとう
りんくん
りんちゃん
パパもママも、
まるもれおも、
りんちゃんがいつも近くにいてくれてると感じています。
優しくて強くて、私たちを大好きでいてくれてありがとう。
りんちゃんと虹の橋でまた出会えるその時までここでりんちゃんのように一生懸命生き切るよ。待っててね。
約4年の闘病でした。おうちで看取ってあげて下さいと言われてから2年も生きてくれました。
亡くなる3ヶ月前は、1日に何十回と止まる心臓を酸素を嗅がせながら心臓マッサージをしました。
私たちの思いを汲んでりんは、都度、蘇り、頑張ってくれたのです。
24時間体制で看ていた私たちに日本動物医療センターの先生方が「私たちにも甘えて下さい」と仰って下さり、りんだけでなく私たち家族にもたくさんのサポートやお心遣いをいただきました。
坂本先生、福島先生、祐島さん、
皆さま本当にお世話になりました。
命日2019年1月1日 享年13歳
しし丸へ
9月4日、最後になった奥田先生診察日。待っている間に下ろしてみたら、久しぶりに歩けた写真。
亡くなる3日、最後になったcocoeさんから帰ってきて、ご機嫌よい姿。
旅立ちの日(余りお花を入れられないとのことで…淋しいですが…)
旅立ちの日(余りお花を入れられないとのことで…淋しいですが…)
しし丸くん
しし丸がいろんなことが自分で出来なくなって、思うように動けなくなり始めた頃から、毎日レクチャーしてたこと、ちゃんと出来ましたか?
もしもの時が来て、虹の橋を渡ったら、向こうには係の人がいるから、大きな声で苗字から名前を言うこと!
家族は?って聞かれたら、僕のことが恥ずかしいくらい大好きだったパパとママがいました!って言うこと!
それから、ママからは、家族になった日から1日に何回も、しし丸、生まれてきてくれてありがとう!
うちに来てくれてありがとう!家族になってくれてありがとう!って言われていました!って、
全部ちゃんと大きな声で言えましたか?
無事に受付を通って、沢山の薬からも解放されて、足も強くなって、走り回ってますか?
一度で良いから、夢の中で良いから、姿見せて、どんな暮らしをしているか教えて下さい!
そうでないと、ママは毎日思い出しては淋しくてメソメソ泣いています。
ずっとずっと今も泣いています。
会いたいです!
しし丸ママより
亡くなる朝、しし丸は、奇跡のように元気に過ごし、こんな姿を見れるなんて!と嬉しくて笑いながらトイレを片付け振り向いたら、静かに倒れていて、酸素吸入、心臓マッサージを繰り返し、何度か戻ってきたけれど、最後は笑ったような顔で逝ってしまいました。
先生の患者に寄り添った治療と細やかな対処のお陰で、しし丸は辛く苦しい時期を何度も何度も乗り越えることが出来、病気に負けたのではなく、自分で立派な最期の時を決めたんだ、と思います。
まだまだ淋しくて仕方ないですが、
日本動物医療センターで、奥田先生に出会えて本当に良かった…。
命日2022年9月23日
絶妙な先輩・後輩コンビへ
ココちゃん ちょびちゃん
怒りん坊のブラックタン『ココ』へ、
産まれて1ヶ月で家に迎えた時から、犬と触れ合わず人間として育ってきたからか、
自分が一番・プライド高い孤高のワンコでしたね。
手を出すとかじられて、よく血だらけになりました。
触りたくてもなかなか触らせてもらえない中、散歩に行く時や 私が帰宅した時に擦り寄ってきてくれた時の事を今でも嬉しく思います。
最後は突然亡くなってしまいました。
私が海外出張の時だったので、今でも居なくなったことが信じられません。
先日、1年後輩ワンコの『ちょび』もそちらに行きました。
3年ほどそちらで1人だったので、寂しかったかと思いますが、また2人で久々に渦巻き寝をしてください。
癒やし犬のチョンマゲ『ちょび』へ
産まれてから6ヶ月もペットショップで売れ残っていましたが、最初にちょびを見た時は衝撃的でした。
情けない感じだったけど、妙に気になる・連れて帰らなきゃと思わせる表情に運命を感じ、家族になる事を決めました。
先輩風を吹かす先住犬『ココ』とも、絶妙な性格の違いが意外とマッチして、毎日新鮮な体験ができ楽しかったです。
『ちょび』は何をされても怒らない穏やかな性格で、
また、そのなんとも言えない表情は、常に家族の皆を癒やしてくれました、
『ちょび』の最後、夫婦2人で看取ることができたのは幸せでした。
最後の瞬間の息づかいまで感じることができ、命というものの有り難さ・切なさ、改めて向き合うことができました、
ありがとう。
また一緒に昼寝ができる時まで、そちらで待っていてください。
ココ(チワワ、ロング、ブラックタン)、2004年12月生まれ、命日2019年3月20日、14歳
ちょび(チワワ、スムース、白黒)、2006年1月生まれ、命日2022年11月29日、16歳
愛する我が子
ルークくん
命日2020年4月15日
ゴン太くん
命日2018年2月20日
ルフィーくん
命日2019年3月17日
ルフィーくん
命日2019年3月17日
我が子が闘病し、亡くなった時
一番に思ったことは
どうしてもっとはやく病気に気づいてあげられなかったんだろう、
あのときなにかほかにやったあげていたら今頃まだ頑張れてたんじゃないか、
あのとき選んだ治療方法が正しかったのか、と後悔ばかりでした。
そしてどうしても最期の闘病中の印象が強く、
この子はわたしのもとに縁があってきて生きてきて幸せにしてあげられたのか。と不安に思いました。
時間が経って、
闘病前の元気だった顔つきや生活を思い出したり写真や動画をみて
常にこの子にとって一番はなにかをそのときそのときに家族で考え決めたことなのだから
正しいもなにもない、と思えるようになりました。
いままだいる我が子の幸せな時間をすこしでも増やしてあげたいと日々思っています。
そして獣医師として毎日関わる子たちにも同じ気持ちでやっています。
またいままで自分自身が感じた闘病中の心配で不安な気持ちをご家族が感じている時、
一番近い存在として寄り添い最期までその子を一緒に見ていきたいと思っています。
『空から見守ってくれてありがとう展』
スライドショー動画どうぞご覧ください
「空から見守ってくれてありがとう展」にご参加いただきありがとうございました。
こちらは私達が以前から開催したいと温めていた大切な企画で、
皆様にリリースすることができてとても感慨深い想いです。
生き物全てには寿命があり、
残念ながら病気や年齢などからいつか大切な家族とのお別れの日が来てしまいます。
ご自宅に初めて来た日の事こと。
成長して楽しい時間を過ごした思い出、
老いと共に病気などと不安と向き合いながら過ごした日もあったかと思います。
大切に、真剣にご家族の一員として過ごしてきた日々はペット達に伝わり、
かけがえのない関係性となっていたその歴史が皆様からいただいたお写真から伝わってきて
繰り返し見るたびに胸が熱くなりました。
私達は、動物病院は「具合が悪くなってから訪れる場所」ではなく
「全ての動物が一日でも長く健康で美しくいられるように」お手伝いをする場所だと考えています。
どんな細かなことでも構いません。
動物とそのご家族様に安心を提供できますよう、いつでもスタッフにお声がけくださいませ。
日本動物医療センター
ウェルネスセンター長
獣医師 冨田 夏子
次回は『ウチの子のココ!が好きなんです写真展』
ウチの子のココ!この部分がたまらなく好き!というところはありますか?
何度も何度も触ってしまうようなところ、
大事に大事に伸ばしているここの毛や、ここの模様、
我が家の我が子だけのこだわりの自慢ポイントなど、
ココにこだわっているのはウチだけ?と思ってしまうような、我が子の大好きな部分を教えてください。
参加方法はこちら
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日本動物医療センター 絆プロジェクト
〒151-0071
東京都渋谷区本町6-22-3
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